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報恩寺(ほうおんじ)は、東京都台東区東上野にある真宗大谷派の寺院〔新妻久郎 『改訂版 親鸞二十四輩巡拝』 P.22「第1番 坂東報恩寺」〕。「坂東報恩寺」と通称される。山号は「高龍山」、院号は「謝徳院」と号する〔。開基は親鸞の門弟の性信。性信と報恩寺は二十四輩の第一番である〔〔 『親鸞めぐり旅』 P.136〕。 == 寺歴 == 元は下総国横曾根〔下総国横曾根 - 現在の茨城県常総市。〕にあった真言宗の荒れ寺「大楽寺」を性信が念仏道場として再興したのが創まりである。 慶長5年に兵火によって焼失し、寺基を江戸に移す。はじめは外桜田に移し、寛永20年(1643年)に八丁堀へ移転する。明暦3年(1657年)1月18日の明暦の大火により、浅草本願寺東門内の広沢新田に移転する。文化3年(1806年)3月4日の文化の大火により、浅草本願寺とともに焼失する。文化7年(1810年)、上野に寺基を定め現在に至る〔。 横曾根の跡地は文化3年(1806年)に本堂が再建され、はじめは「聞光寺」と号し、後に坂東報恩寺支坊になり「下総報恩寺」と通称される〔新妻久郎 『改訂版 親鸞二十四輩巡拝』 P.29「第1番 下総報恩寺」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「報恩寺 (台東区)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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